2010年11月26日金曜日

テスト版

 
『冬の花』 まえがき

こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前は マリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているお しゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大 事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。

朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はと みに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterや facebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから 沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネット ブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。

話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。

うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。

い けずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をし たときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。 だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。

ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の 図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっ ぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が 今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つ けた小冊子を読んだのね。

勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしい けど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく 驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったので しょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしい わ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。

でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さ んから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。こ の小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。

まあ、そんなわけでこれから 始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。 多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始め ちゃうんだから。

ほんじゃあ、よろしくね。

2010年11月21日日曜日

自分の誕生日を目前にして考え込む

海援隊の歌ではないけれど、思えば遠くへ来たもんだ、というのは今の実感でもある。まさかこんな変てこ人生が待っていようとは夢にも思っていなかったよ、ほんと。

遥か昔、44歳の若さで死んだ母が経験しなかった年代に達してしまったわけだ。祖母が今の私の年代の頃、子供だった私にとって祖母はたしかにお婆さんに思えたのに、自分がその年代になってみるとあまり年寄りのような気がしないぞ。多少、体に故障は増えても心は若いときとあまり変っていないなあ。

それどころか、まだこれから新しいことに挑戦しなくてはならないと思って武者振いを感じているところだ。ちんまりと歳をとっていられるような状況ではないのである。以下は某SNSのプロフィルに経歴代わりに書いたもの。

・・・記入するほどのものもないので、これまでしてきたことを申し上げます。十代のころから、遠藤周作先生、霜山徳爾先生の影響を受けてきて、初めはプロテスタントの信者だったのですが、20代半ばでやはりどうも違うと感じてカトリックに改宗。
以後、なぜかどうも普通はありそうにもないようなことばかりつづいて、30代半ばから仕方なしに童話や物語のようなものの創作を始め、第一作目の『公園のお風呂ダヌキ』がさるお方のお目にのぼったことなどから、お金にこそ縁がないものの、マスコミの一部では知る人は知っている存在であります。これまで書いたものの一部はgooブログに『私の物置』『ケータイにもにゃん格が・・・マリーさんのお言葉』の二つの中に入れてあります。やんごとない方々にかかわるものは原稿もコピーも事情あって数点しか残っておりませんが、手元に残った物は入れておきました。
それより、今は新しい作品を書くべく準備中です。この時代の物語が書ければよいのですがさてどうなるでしょう。 ・・・

カトリックに改宗して以来、本当にまさかというようなことばかり続いて、いつのまにか還暦を過ぎてしまったという、なんとも奇妙奇天烈人生。まあ、あまりにも人を信用しすぎていたのがよくなかったのかもしれないのだが、三つ子の魂百までで、多分、基本は死ぬまで変らない気がする。

英(はなふさ)師はカトリック教会の危機を語っておいでだが、実のところ、原因は教会の、修道会の内部にあるのにどうして目を向けないのだろう。向けたところでどうにもならないのも確かだが、マスコミも政治家も経済も真実には口をつぐんでいる。最も語ったところで誰が信じるかというような話ではあるが。

でも、ある時期、神はマリア様を通して本当に歴史に介入してくださったのだと思う。ただ、誰もその真実を知らないから、せっかくの平和を作るべき好機を個人のお金儲けやそれぞれの国の利益追求に費やして歴史を悪い方向に向けてしまったのだと思っている。これからの世界の将来はどうも恐ろしい。

しかし、それでも一個人たる私は今自分が出来ることをするしかない。その昔、カトリック市川教会で出会ったファティマのマリアさまのご像が今の状況の全ての始まりである以上、導かれるまま進んでいくしかない。簡単ではない状況だ。まさかそのおかげでまともに会社に勤められなくなるとか、生活保護で暮らす羽目になるなんて誰が思う。チェルノブイリの事故が起こって以来、日本のマスコミがしたのはカトリックの信仰について認識を広める代わりに、個人を巫女だのシャーマンだのと取り上げて、まともな社会生活が出来ないような状況にしてくれただけだった。それに便乗した宗教家もいたものなあ。

何とか、本当の自分をわかってほしいと書き始めた童話や物語がまた予期せぬ成功を生むと、今度は誹謗、中傷があちこちに広まって、とにかく私の存在を消そうとする陰謀ばかり続いて、年月がたって、今や本物のおばはん世代になり、それも客観的に見えるようになってきたところだ。

何がどうなろうとたいしたことではない。良く考えれば若いときの希望の通りになっているじゃないか。お金も名前もいらない。神様の下さるものだけで生きていく神様のこじきになりたい。まさに今やそのようのものになっているのだからすごいよ。文句をいうどころではないのさ。まあ、本来の希望は修道生活、観想生活だったけれど、神様が今私に与えて下さっている生活はこれはこれでいいのかもしれない。今のところ、外部に情報を発信するためにパソコンやケータイにお金の殆どが出て行っているけれど、これもやめるときがくれば、十分食べていけるようになる筈。当分はきついがやれるだけやっていくさ。

とにかく、いまはまず新しい物語を書かなくては・・・それからですなあ。

そういえば、23日にせっかく在世フランシスコ会の総会に訪問者の資格で連れて行ってもらうことになったから、これも物語の中に取り入れてみたい。良く見聞きしてこよう。

2010年11月15日月曜日

時代

カトリック教会のオリエンス宗教研究所というところから出ている「福音宣教」誌12月号を読んだ。英(はなぶさ)神父様の連載、闇の中に輝く福音を毎月読 んできたが今回が最終回だ。個人的に昔のいきさつで少々しこりがあるから、さしてかかわりたいとは思わないが、しかし、この若い司祭の洞察は実に鋭いもの だと思っている。共感するところ多々あって、ずっと読んできた。

現在のカトリック教会の実情、結局のところ、今の自分自身の境遇にしてもそこに原因があるのがわかってきて、もはや文句を言っているどころではないと思っているのだ。今は文句を言っているときではない、何とかしないと大変なのだ。

教会も修道会も世間同様、高齢社会、日本経済の状況の変化の荒波に揺さぶられている現実がある。今までの経済モデルが通じなくなってきているのだ。司祭、シスターといえど生活していくための最低限の基盤は必要なのである。

思 えば昔、プロテスタントの信者だったころ、若い駆け出しの牧師夫妻のもとで、貧しい生活に耐えて子供を育てながら、地域に福音を伝えようと必死に働いてい る姿をずっと見ていた。その後、カトリックに改宗して、出会ったのが貧しさではとびっきりだった、当時のイエスの小さい姉妹の友愛会のシスターたちだっ た。プロテスタントの牧師も小さい姉妹も、似たり寄ったりな生活をしていたから、この会ではわざわざ修道院に入るような必要を感じなかった。だから、小さ い姉妹にはなる気がしなかったのだ。

自分が望んでいるのは神を捜し求める生活であって、そのための貧しさならともかく、貧しさ自体が目的 だという会は絶対いやだと思っていた。が、なぜかそれどころではない、普通ならあるはずもないような奇妙な出来事ばかり続いて、30数年たってしまい、い まや還暦のおばはんだ。

ここへ来て、はたと周囲を見回すと、なんと今や日本は新興衰退国と呼ばれているのだとかで、まさに経済も人口も夕 暮れにきているではないか。30年も40年も昔、貧しい伝道者の家庭や、小さい姉妹会で見て覚えた生き方が今ものすごく役に立っているのだから皮肉だ。け れどこの衰退期の現象、教会の情勢でもおなじなのだ。おまけに普通の世間一般の方々はまだそこに気がついていないらしいのがおそろしい。

英 師は、しっかりとそれを見つめ、考えようとしている。12月号の記事は重い。twitterでさまざまな方々の考えを目にするとき、すでにファッショ的な 動きは地下で始まっているのを感じないわけにはいかない。そして残念ながら英師の希望の路線にはまだまだ道は遠いのだ。司祭たち自体、全員ではないが、状 況がわかっていないのではないかとさえ思えたりする。わかっていても流されるしかないときだってあるのだろう。信者としてもあまり期待しすぎていてはなる まい。
とにかく今は大変な時代なのだ。

2010年11月7日日曜日

昨日のはなし

昨日は11月の初めの土曜日。朝、目が覚めるとすでに9時過ぎで、いつもならこの時間に出かける時間だから、あわてても間に合うわけがない。さっさとあきらめて聖書の集いに行くのは休むことにした。
先日の漏洩騒ぎ以来、それが関係しているのかどうかは知らないがずっと込み合っていてなかなかアクセスできなかったtwitterを開いてみると今朝はまあまあ大丈夫。知人たちと挨拶していると、大阪教区の神父様のところで、ある末期ガンの方のことで、その方の様子を見て神父様までいたたまれなくなっておいでのようだった。もっと生きていて教会のために働きたいとおっしゃっているのだとか。
非常にお気の毒ではあるのだけれど、永遠の生命を信じるというからは、この世で教会のために働くばかりでなくて別の形で働くこともあるのではないかと思う。人間のレベルでは全体の一部分しか見えないから、自分のやってきた仕事をもっと実らせたいとか、いろいろ考えるけれど、たぶん上のほうから見るとすでに全体の構図が見えていて、その方のこの世での与えられた役割はきちんと終わっていて、次にそれを引き継ぐべき登場人物が決まっているのかもしれないとも思える。
人間は神様のなさることの意味を、本当に何も知らないし、わからない。ただ、それはその人にとって一番よいことだからそうなるのだと信じることはできる。アンデルセンの童話に、一人の母親が双子の赤ちゃんを残して死ななければ成らないのを悲しんでいるのを見て、死の天使が神様のお言いつけに背いてその母親を助けようとして地上に落とされ人間の世界で暮らしながら、母親の子供たちがどのように成長していったかを自分の目でみて、神様のみ摂理をやっと悟り、天井に戻っていくという話しがあったのを思い出す。
神様はその人のために一番よいことをなさるのではないだろうか。その出来事を通して回りの人たちにも何かを語りかけているのではないか、何かを教えたいのではないか、と思えてくるのだ。
それからまた、次は別のはなしで、聖イグナチオ教会でもしばらく働いてくださっていた、インドネシア人のバンバン・ルディアント師からの、インドネシアの自然災害で受けた大きな被害の状況の知らせを、知人のSNSのページ、またブログでも見て驚いてしまった。世界のあちらこちらで大きな地震や噴火や津波がいくつも起こっているために、つい鈍感になっていたのだが、インドネシアの状況はだいぶひどいことになっているようだ。バンバン師を覚えている方々、何かできそうなことがあったらどうか手を貸してほしいと願うばかりだ。
そんなこんなで夕方のミサの聖歌隊の練習に出かけた。今日は月に一度の新垣先生の指導の日で、前練習から本番、後練習までしっかりと新垣先生の聖歌についての考え方もうかがうことが出来た。マンモス教会の聖歌隊は各ミサの時間帯でそれぞれ別の聖歌隊が受け持っているから、ばらばらにならないように聖歌隊の代表が集まって歌を決めて統一しているわけだが、そのとき、やはりどうしても歌の祈り、歌の心を深く見て決めるというより、時間内に間に合うようにということが結構あって、今日もクリスマスの歌の内容のことで先生がこれはちょっととおっしゃっていたのだが、今年はすでに変えられるわけがないから、来年の代表はクリスマスの歌を決めるときせっかくの新垣先生の指摘を誰か、聖歌隊の指導司祭なり、オルガニストなりに伝えて考えていただきたいものだと思う。
一週間は長い。けれど一日は短い。朝からあっという間にこんな時間だ。繰り返しになるけれど、神様のなさることはそのとき意味がわからなくても、その人にとって一番よいことだからそうなるのだと思う。だから私も当分はそれ以上文句は言わずに自分にできる仕事、書くことに力を入れるつもりだ。

2010年11月4日木曜日

物語を書くということ

子供のころから運動は苦手だったが、空想の世界で遊ぶのは大好きだった。現実にそこにあるものも想像力のめがねをかけて見ると、ぜんぜん違うものに変わるのだ。犬や猫は口が利けて話しかけてくるし、木や草花も自分の話を聞かせてくれる。

そんなわけで、空想の世界で見たものでお話を作るのも好き、物語を文章に書いてみるのも好きだった。その延長で祈りながら心に浮かんでくるものを物語の形で書いてみるようになったわけだ。

それが『公園のお風呂ダヌキ』をはじめとしたいくつもの物語だった。ところがどうも不思議なことに、肝心のカトリック教会で、それが読み取れる人が少ないのには驚く。大人でも、子供でも誰にでもわかる形で祈りから生まれたものを書いてみようと始めたのだが、それを見ても、こんなものは誰にだって書けるくらいにしか見えないらしいのだ。がっかり。

わかりやすいように書くのは結構大変なんだぜ、と心の中でぶつくさ言ってみても、わからない人にはわからないらしいということがわかっただけだ。ではと、なるべく難解な話にすると、今度は本当にわからないから面白くないということになる。まったくうんざりしてくる。

もう、今度からは人に見せるためではなくて自分が読みたいもの、面白いと思うものを書いてみようと思う。好きなもの、楽しいものでいくつもりだ。ケータイのマリーさんには改めて登場してもらおう。
一作に準備から最後までだいたい半年以上かかるから、先は長いぞ。

2010年11月3日水曜日

昔、WagaMagaというSNSがあった。

日経新聞の以前の日経netに、WagaMagaというSNSがあり、それに参加していたのだが、日経新聞の事情でWagaMagaが終了し、それを惜しんだ参加者の有志が集まって、自分たちのSNSを新たに始めたのが、Waga友ラウンジ・Bだった。けれど、もっと広い交流を求めた方たちがuhuruというSNSに集まり、二つのグループはメンバーが重なり合うところもあり、別の歩みを行くところもあり、それなりに続いて発展していくかのようであった。

たしかに、Waga・Bのほうは、若干の寄付金も集めてしっかりしたサーバーに代えて、さらに人が増えても十分な受け入れ態勢が整えられてきている。ところが、uhuruのほうは、初めは順調に見えたのが次第に様子がおかしくなって、先日のはなしでは今や、会社自体のSNSへの方針がかわり、それまで責任を負ってきた方が退職し、それと同時に技術者がどんどん去っていったと言う話が入ってきた。

ただ、旧WagaMaga系のメンバーたちは、WagaMagaのあと、日経の用意したSNSも終了すると言う経験をして、uhuruもということで、今回はとにかく終わるまではここにいようと言う気持ちのようだ。まだ希望を捨てていない方々の声もある。私自身は、Waga・Bでもよいのだが、とりあえず、メンバーたちに合わせて新しい場所も確保しておいた。これからどうなるかはわからないが、たしかなのは、WagaMaga以来の交流はそう簡単には消えないということだろう。

今までのようにいつでもとはいかないメンバーもいても、それぞれ、個人個人のお付き合いは消えないような気がしている。